科学・人間・社会の未来 広井良典著 より抜粋
経済というものは、ある段階までは物の豊かさが増大するという形で推移する。ところがある段階を過ぎると、経済成長とはほとんど「スピードが速くなる」ことと限りなく重なっていくのではないか。すると経済が成長したと言われても、豊かになったという実感は少なく、「忙しくなった」という感覚ばかりが増すことになる。思えばほとんどの経済指標は、富の生産や経済活動の「単位時間当たりの」量で測られている。ということは、「経済成長率」が少し落ちるということは、「生きていくスピードをちょっとゆるめる」ということに他ならない。この場合、単位時間当たりというのは定式化すれば「〇/t」ということだが、現在においては、人々の消費や志向はむしろ(ここでは分母となっている「t(時間)そのもの」に向かっているのではないか。科学の基本コンセプトが「物質→エネルギー→情報」と進化してきたことを述べたが、これは同時に人々の消費が「物質の消費→エネルギーの消費→情報の消費」という形で変化してきたこととパラレルである。現在そして今後は、さらにその先の「時間の消費」という姿が本質的な意味をもってくるだろう。それは例えばカフェなどで、あるいは自然の中で、ゆっくりとした時間を過ごすこと自体への欲求や歓びであり、つまり「〇/t」の量的増加ではなく「t(時間)」そのものの享受である。そうした方向への転換が、ポスト資本主義あるいは定常型社会という社会像と重なることになる。
今週末、私は自然溢れる公園を1時間程度散歩した。人間は動物性を持つ。動物としての時間を持つ。アウトドアが流行っていると聞くが、それはIT時代特有の部分的な、本能レベルでの原始的回帰が含まれているのかもしれない。