人類最強の発明で世界の難問を解く。 ロバート・J・シラー著 引用
フリードリッヒ・ニーチェは「権力への意志」で次のように述べている。権力への意志は人々の感情の原始形態であり、他のあらゆる感情はそこから生じるものでしかない。個人の「幸福」(生きとし生けるものはすべてこれを追求しているとされる)のかわりに「権力」を置いてみるときわめて啓発的である。権力追求があり、権力増大の追求があるー快楽は権力を実現した気分の症状でしかない。あらゆる原動力は権力への意志であり、他には物理的、動的、精神的な力などは存在しない。
一つきわめて重要な人間の衝動があって、ニーチェは認めていないが、アダム・スミスは「道徳情操論」で強調しているのが、権力そのものへの欲望ではなく、賞賛への欲望だ。この欲望は、きわめて幼い子どもからきわめて高齢の人々や弱い人々にも、他人に対する「権力」など絶対に実現しようがない人々にもはっきりうかがえる。現代心理学には、自尊心の重要性を裏づける文献が大量にある。だがスミスは賞賛への欲望に関する議論にちょっとちがったひねりを加えた。それは現代心理学で本質主義に関する文献と密接に関連し、今日なお十分に認知されていないひねりだ。スミスは、成熟した人々においては賞賛への欲望は賞賛される価値を手に入れることに変換されるの変換されるのだと述べている。共に暮らす人々からの賞賛と栄誉に対する欲望は、私たちの幸せにとってきわめてだいじなものだが、そうした感情の構成かつ適切な対象に己自身がなり、自分の人格と行動を、栄誉や賞賛が自然に集まるような手段やルールにしたがって調整しない限り、完全かつ十全に満足のいくものとはならない。私たちは賞賛を受けて喜ぶだけでなく、賞賛を受けるにふさわしいことを行ったことで喜ぶのだ。
最終的に、立派に構築された金融資本主義は、暴力なき権力闘争の安全な場を作りだす。こうしたシステムを実現するには、金融を人間化する適切なイノベーションを必要とする。それは行動経済学と神経経済学についての知識増加を反映したイノベーションとなる。攻撃的な人間の衝動を完全なものにできる経済体制はまだ知られていないーだが攻撃性を弱めることはできる。金融制度機関や関連した規制は戦争のルールのようなものだ。人間の攻撃からの無用な被害を減らし、他のもっと優しい人間の衝動の表現を推奨する。これまで見たように、発達した金融資本主義に比べて他の経済システムは、人間性のもっとむずかしい側面の扱いがあまりうまくいかないのだ。現代金融資本主義以前には、権力はずっと厳しいやり方で手に入れるものだった。たとえば人類史のほとんどを通じて、政府間の合意を保証するのに人質の交換が使われた。王さまは敵支配者の土地に息子を何年も送り出すことになる。そして王さまが協定を遵守しなかったり取引を守らなかったりすれば、殺されるのを承知していた。だが現代ファイナンスは、取引を固めるのに人質交換をすべて廃止したわけではない。現代の人質交換を指す用語は担保と呼ばれ、人質となるのは人ではなく、金融資産だ。この手口は2007年からの深刻な金融危機以前は、再購入合意(レポ合意)という形で大量に使われ、資金調達をさらに進展させていた。住宅ローンですら、本質的には人質交換で、この際に人質となっているのは住宅(そしてそれが住民に提供する安定感と良い暮らしの感覚)だ。住宅ローン返済が滞って家が差し押さえられると、人間的な影響も生じるし、それはベーハンの戯曲で描かれたようなもとの似たような悲劇をもたらすかもしれない。だがこうした担保協定がなければ、そもそもの住宅ローンも不可能だったのだ。われわれの将来への希望は、金融資本主義を公正にする制度組織のさらなる発展をあてにすべきだ。金融システムはそれ自体が情報処理システムだーそれを構成するのは電子ユニットではなく人間だーそして人工知能の分野は、まだまだとても人間の知性を置き換える水準ではない。われわれの目標を実現し、人間の価値観を拡張するための鍵は、人間の動機や衝動の多様性を考慮した、民主的金融システムの維持と絶え間ない改善だ。必要なのは、人々が自分の目標を促進するために複雑でやる気の出る取引を可能にしてくれるシステムであり、攻撃性と権力欲のはけ口を与えてくれるシステムだ。それは避けがたい人間の紛争を、手に負える領域、平和的で建設的な領域に振り向けるものでなければならないのだ。
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今ある金融システムが未来永劫のものとは限らない 。スミスが指摘した、賞賛への欲求、賞賛を受けるにふさわしいことを行ったこへの喜び等、人間の動機や衝動の多様性を考慮したシステムの再構成はこの先も永続的に続くのだろう。新しいシステムの構築を検討していく中で、本書はヒントを提示しているのだろう。